アナログの遠回りは本当に遠回りか?
振り返ってみると私の20代は、尖っていた
実力もない癖に理想だけは高く
生意気だった20代の頃
今思うと顔から火が出るほど恥ずかしい
ただ、やる気だけは満載だったので
仕事の取引先さんにはとても可愛がってもらえた
21から27まで名古屋で
モデル事務所のマネージャーをしていた私
提携会社には鈴木京香さんや広末涼子さんなど
スターの原石がたくさんいたかなり面白い時代
今でこそ地方タレントにも価値を見出して
もらえるが当時は、地方というだけで
東京のモデルさんたちとギャラが雲泥の違いで
とても足元を見られていた
「そんなのおかしい!」
世間知らずで血気盛んな20代の私は、
悔しさをばねに何度も東京営業へ行ったものだ
その当時、Pという情報誌の名古屋支社に
Nさんが転勤してきた
やる気だけはある私をNさんは
その志しを応援すると言い
東京営業へ 一緒に行ってくれたことがある
その時に出された条件は東京営業の際
「モデル宣材ブック20冊を手持ちで持参する事」だった
このブックはモデル200人の全員の写真が
掲載されたとても分厚く重たい上
当時は、平野ノラさんもびっくりの
肩掛け携帯電話を持たされていた
想像するだけで私はひるんでしまい、
「営業先がわかるなら送ります」と言ったが
Nさんは、一言
「それならこの話は無しだ」と言った
仕方ないので重い荷物を抱え
しぶしぶ東京行きの新幹線に乗る
東京では、雑誌社を中心に営業した
Nさんは、全ての営業先に同行し
「こいつがどうしても名古屋のモデルを売り込みたいというので付いてきました」
と言って一軒一軒頭をさげ、
重たいモデルブックも半分持ってくれ
1日営業をしてくれた
東京営業のメインは、
憧れのマガジンハウス
当時ananのカリスマ編集長だった
淀川美代子さんにお会いする事だった
その時代のトレンドを作った淀川さんは、
とってもカッコよく今でもその空気感を
覚えている
彼女は、モデルブックをパラパラとめくると
1人を指差して
「この子、この子がいいわ」
と言った
まだデビュー仕立ての17歳の女の子だった
そして名古屋に戻った私に
淀川さんが直接電話をかけて下さり
指をさしたモデルにOliveの仕事を振ってくれた
その時のスタイリストが野口強さん
当時、本木雅弘さん、後には木村拓哉さんなどを
担当する超カリスマスタイリストだった
たった1本の雑誌の仕事、
ギャラにすると大した額ではないが
この超アナログな営業経験は、
私にとてつもない大きな何かを
残してくれた
今思うと、なんでもありの
とても自由な時代だった
そして何より私はとても人に恵まれていた
この出来事の価値は、
20代の私には半分も理解出来ていなかった
この記事をかきながら今更ながら、
その意味を噛み締める
私は、なんて幸せ者だったんだろうと
Nさんに感謝で一杯だ
重いと思うモデルブックを一緒に担ぎ
頭を下げてくれたNさんの横顔は
今でも私の誇りとして刻まれている
無駄だらけにも思えるこのエピソードが
今の私には愛おしくて仕方がない
現代は、デジタルとアナログの融合の時代
だと思う
デジタルは速い
デジタルは無駄がない
デジタルは正確だ。。。
いいことだらけだ
しかし、軽快さや利便性だけを
求めてしまうと
肝心な人間が置いていかれることもある
「アナログの遠回りは、
決して無駄ではない」
数字に現れる何かだけが
すべてではないからだ
私は、いい時代だったと懐かしむために
この記事を書いているのではなく
こういった経験を記していく事、
未来に残していくこと
それが今の自分にできることだと信じている
誰が読んでくれてもいいように
これからも書き続けていこうと思っている
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