人との距離感が分からなくなった時について

アメリカ人のマークとお付き合いを
していた時によく言われた言葉
 
「I need to keep my boundary」 
直訳すると

「僕には、境界線が必要だ」

 
20代で恋愛経験も少なかった私は
彼のこの言葉をとても冷たく感じ
よくもめた記憶がある
 
「何?boundary?」
「境界線???」
 
「君のここが嫌だ」
とか
「こういうところを直して欲しい」
ではなく

「境界線」

 
確か彼はこの言葉もよく使っていた
「I need a space」
 
こちらの表現の方がわかりやすい
「僕は、スペースが欲しい」
 
私は、彼とお付き合いしたことで
自分が無意識に日本人の考える
「人との距離間」を取っていたことに
随分後になって気が付いた
 
そもそも
「BOUNDARY(境界線)」という意識を
持って付き合っている人が 
どれくらいいるだろう?
 
この一見冷たそうに感じる
「境界線」という物は
本当のところどうなのだろうか?
 
 
かなり昔の記憶をたどってみる
中学生時代バレーボール部の
キャプテンをしていた
ある試合に負けてしまった時の
反省会で私は、こう発言した
 
「負けた事は残念だけど
  自分はベストを尽くしました
  だから、後悔はありません」
 
 
するとその時のコーチに
「バカヤロー!」と罵られ
皆の前で平手打ちをされた事がある
 
その時代は、スポコン漫画が大流行で
勝つ為なら何でもありだった
チームメンバーのサーブが入らないだけで
全員校庭1周が当たり前
 
「個人のミスはチームのミス」
という監督の哲学だった
 
14・5歳の思春期の女学生が
平手打ちを受ける
バケツで頭を殴られる
 
今思うとこれは、完全に暴力による
マインドコントロールだ

本人達の気持ちを育てるのでは無く
恐怖から従わせる
最も尊敬出来ないやり方が
当時はまかり通っていた

誰かに強制された
チームワーク

誰かに強制された
調和する事
 
話が飛躍してしまったが
日本の文化の根底にまさに、
調和という価値観がある
 
調和は、決して悪いものではないが
個性を隠して、または個性を潰しての
物になっている場合もある

自分という生き物に一番
向かい合わなければいけない時期に
「調和が第一優先」という
歪んだ教育や思考を埋め込まれる

だから、自分が本当に何がしたいのか?
とことん考える癖が育っていかない


アメリカで生活した7年は、
私に沢山の視点をもたらしてくれた

他人に合わせる前に
自分が何がしたいのか?
何が食べたいのか?


自分を他人に委ねないで
自らが一つ一つ選択していく
そして、それを言語化する


当時は、頭が割れそうになるほど
パニックになったけれど
アメリカ人のボーイフレンドは、
「人と人の間には境界線が必要」
という素晴らしい価値観を
教えてくれたのだと思う

他者との間に
「BOUNDARY(境界線)」を持つ

それは、自分の本当にしたい事に
素直に従う事ができる
コントロールされない状態を守る事だ


人は、独りで生まれ
やはり独りで旅立つ

当たり前だけど見ようとしない事実

「自分を守れるのは、まずは自分なんだ」
と私は、自分の根底に持ちたいと思う


それ以外の誰かから貰うサポートを
ブラスのギフトだと思えば
より人生は軽やかになるだろうと思う

#境界線 #自分を大切にする #自分を信じる ##自分を守る

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