相手の課題 自分の課題 その境界線
「相手の立場を考えて話す事」
と
「相手の場所に降りて話す事」
は、微妙に違うと思います
「相手の立場を考えて話す事」
は、相手を一人のオトナとして
コミュニケーションをする
オトナとオトナの会話が基本にありますが
「相手の場所に降りて話す事」は、
どうでしょうか?
大袈裟に考えると分かりやすいので
年齢差と知識差を想像し
大学生2年生と小学3年生との
会話を想定して考えようと思います
大学2年生は、小学3年生に
何かを説明する時、言葉選びだけではなく
彼らの常識を想像して話します
これが 「相手の場所に降りて話す」
のイメージに近いと思います
別の表現をすると
「相手を一人前の人として扱っていない」
といえるかもしれません
この例は、大人と子供だから
当たり前ですが
「相手の場所に降りて話す」
事が大人と大人の会話の中にも
存在するなぁと最近感じます
例えば クレーマーの人達は
自分の利益を守るため
相手を攻撃し駄々っ子の様に
相手を困らせ不公平な取引をしようとします
金品や物が介在するこういった例は
とても分かりやすいですね
一方、介在する物が見えない場合は、
非常に分かりにくいですね
それはつまり
「見えないもの」=「人の気持ち」
”愛情や友情、思いやりの類”のものです
具体的には
「毎回待ち合わせの時、遅刻をする人」
や
「ドタキャンをする人」
「自分を守る為に攻撃的な
コミュニケーションをして
相手を威圧する人」
などの”見えない物が介在している”例です
相手がこの様なコミュニケーションを
選び続ける場合 私達は、無意識に
「相手の場所に降りて話す」
コミュニケーションをしています
それは、
「遅刻した本人は、
謝ったからいいじゃない」
とか
「そんなに酷いことをした覚えが無い」
などで困らせている本人には
驚くほど罪の意識がありません
「相手の場所に降りて話す」
事は、子供などに対しては
必要ですが大人に対しては
見方を変える必要があるかもしれません
「相手の場所に降りて話す」事は、
"その人の課題(毎回遅刻の様な)を
背負わされている”
事にもなり得てしまうからです
"誰かの課題を
その人以外の
誰かが肩代わりをしてはいけない”
なぜならその課題や問題は
本人のパーツなのだから
一方だけが悪い事はありません
そのコミュニュケーションが不毛だと
感じたならやめれば良いのですから
そういう私も
困らせ屋さんに 困りながら
「相手の場所に降りて話す」
を駆使し、なんとか
コミュニュケーションしようと
してしまう所があるなぁと
自分への反省も込め
このテーマを書いてみました
#コミュニュケーション #コントロール #被害者意識 #迷惑
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